2010年12月27日

アサンジ、自伝を執筆

非武装のジャーナリストを米軍のヘリが銃撃しているイラクの映像を華々しく発表して以来、ウィキリークス(Wiki・Leaks)は、様々な政府機関の内部告発者から機密情報を入手しては公表する大胆なウェブサイトとして、世界的な悪名と信用を獲得してきたのだが。現在、米英の圧力によりウィキリークスの財政が逼迫し、活動不能に陥っている。

国家機密を暴露して英国で監視中のジュリアン・アサンジは「契約がまとまった。英米で自伝を出版し、その契約金およそ150万ドルでウィキリークスの維持と裁判費用を捻出する」と、英紙サンディ・タイムズが12月26日に報じた。ウィキリークスへの寄付金を取り扱ったVISAカード、バンク・オブ・アメリカならびにPayPalが受付を拒否したため、世界からの寄付金がウィキリークスへ送金されなくなっていた。

米国での版元はアルフレッド・クノップ社、英国はキャンノンゲート社といわれ、それぞれが契約金80万ドル、50万ドルを支払うという。

2010年12月26日

子宮頸癌ワクチンの危険性

ワクチン「サーバリックス」の接種推進は、日本民族を根絶やしにしてしまおうという、外国勢力の策動が根本にある。「予防接種すれば、子宮頸がんにはかからず、誰とでも性交渉をしても大丈夫」として、女性の性の自由、自由な性交渉を推進するジェンダーフリーや男女共同参画推進派の動きと連動したものだ。

公費を使ったワクチン接種強要は、女性を不妊症にさせ民族根絶やしにする国家的組織犯罪とも言える。子宮頸がんワクチン計画の継続は数十億の利益を生み出すからだ。

2010年6月1日、時点でアメリカでは1万5千件以上副作用が発生しており少女たちが57人が死亡している。

閉された言語空間

検閲とは通常、思想の統制や社会の秩序をたもつために国が強制的に出版物や郵便物などを取り締まることを指すが、ここでは太平洋戦争の勝者のアメリカが、敗者の日本の言語空間を閉ざし、日本人を洗脳してきた実態が明らかにされている。

日本での検閲において、アメリカが最も頭を悩ませたのが日本語いう世界で最も難解な言語であり、特に戦後は検閲に当たる人材が不足していた。それを補うために、アメリカは日系二世の中から日本語の出来る者を選抜し、陸軍諜報部語学学校で「語学兵」として訓練した。また、日本人の中からも、滞米経験者、英語教師、大学教授、外交官の古手などを採用し、高額の報酬で検閲の作業に当たらせていた。

驚いたのは、「War Guilt Information Program(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)」なるものが存在し、日本での検閲に大きな影響力を及ぼしていたことである。

終戦直後にアメリカが特に懸念していたのは、原爆投下による被害者意識が強まってきたことと、東京裁判において東条英機を賞賛すべきだという機運が高まりつつあることであった。

これらに対し、アメリカ側は「危険思想」の特定方法や対処方法を明らかにし、ケース・バイ・ケースのマニュアルを用意していたのである。

江藤氏によれば、こうした言語検閲は戦後日本の言語空間を拘束し、そして今もなお、日本のメディア界に体質として残っているのだという。 終戦から60年以上が過ぎた今、日本人の異様なほどのアメリカ信仰をひとつをみても、アメリカが植えつけた言語検閲がいかに効果的だったか。中国や北朝鮮に対する嫌悪や不信感についても、アメリカ主導の反共教育が少なからず影響しているのかもしれない。

一番怖いのは、それを日本人が自覚していないということだと思う。江藤氏によれば、言語検閲を担っていた組織は完全に「影」の存在であり、だれもその実態を明らかにしようとしなかった。その意味で本書は、豊富な一次資料に基づいた画期的な歴史研究である。 戦前から戦中にかけて日本でも検閲が行われていたが、それは国内法に基づくものであり、その法の存在は公にされていた。

また、伏せ字の使用により、検閲されていたことを多くの国民が自覚していた。 しかしながら、GHQの検閲は、その事実を秘匿し伏せ字や空欄の使用も認めなかったため、ほとんどの日本人は検閲済みの情報に接していたと言う自覚を持てなかったのである。しかも、この行為はポツダム宣言でも認められていないことなのである。

そして検閲という言葉からは「占領政策に不利な情報の流布を防止する」に過ぎないと言うイメージを抱きがちであるが、GHQが行ったのは、さらに自分たちの都合の良い情報を流し、史実の書き換えまでも行う、謀略工作に近いものだったと言えるだろう。ドイツと日本の降伏は同等のものと思い込んでいる人たちがいまだに多いことなどを見ても、影響は相当根深い。

▽「閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本」江藤淳著▽

第2次世界大戦後におけるアメリカの日本に対する検閲についての調査報告である。米軍の周到な準備と苛烈な検閲の実態が学術的精緻さをもって明らかにされる。敗戦直後には報道されていた米兵の婦女暴行事件も隠蔽されている。容赦の無い検閲だ。

そもそも、ポツダム宣言第10項には、「言論、宗教及び思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立せらるべし」と規定している。だから、検閲の実施は秘匿され、検閲の痕跡が残らないようにされた。たとえば、「大東亜戦争」ということばは伏字とはされず、「太平洋戦争」ということばに置き換えられた。そうしてその集大成が東京裁判とその報道である。

毒ガス以上の残虐兵器である原子爆弾を非戦闘員に使用した米国への日本国民の批判の目をそらせるために、日本軍を徹底的に悪者にしたてることに占領米軍は成功した。

結果、占領終了後も日本人のアイデンティテイーと歴史への信頼はいつまでも内部崩壊を続けた。また、同時に常に国際的検閲の脅威にされされている。

教科書問題はそのひとつの現われだ。さらには、著者が体験した映画作成において報道機関において今なお自主的な検閲が行われていることが記録されている。閉ざされた日本の言語空間の解放を願った著者の想いが行間から伝わる力作。

祇園精舎の鐘の聲

祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。娑羅/しやら、雙樹の花の色、盛者/じやうしや、必衰のことはりをあらはす。

おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。

たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高/てうかう、漢の王莽(わうまう)、梁の朱异/しうい、唐の禄山/ろくさん、是等は皆舊主先皇/せんくわう、の政/まつりごと、にもしたがはず、樂しみをきはめ、諌(いさめ)をもおもひいれず、天下/てんが、のみだれむ事をさとらずして、民間の愁/うれふ、る所をしらざしかば、久しからずして、亡/ばう、じにし者どもなり。

近く本朝をうかゞふに、承平/せうへい、の將門、天慶/てんぎやう、の純友/すみとも、康和の義親/ぎしん、平治の信頼/しんらい、おごれる心もたけき事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは、六波羅の入道前/さき、の太政大臣/だいじやうだいじん、平の朝臣/あツそん、芿盛公と申し人のありさま、傳/つたへ、承るこそ心も詞/ことば、も及ばれね。

国辱の平成22年が暮れてゆく

本年も、一週間を切った。本年の特色は、「国辱」である。国恥の年と言うべきか。

その国恥は、菅民主党内閣によってもたらされた。

彼らは、1935年(昭和10年)のコミンテルン第七回大会の指令通り「共産主義者という身分を隠してブルジョア組織のなかに入る」ことによって政権にありついた者どもである。

その彼らが、丸々1年間、1月1日から12月31日まで「ブルジョア組織」を牛耳った年が本年だった。

その間、天皇陛下を政治利用し、社会党の村山富市談話と同じ手法で菅談話を発し、朝鮮近代化に尽くした我が日本を貶めた。そして、本年9月の中国漁船と称する工作船が我が国巡視船に体当たりしたが、逮捕した船長を菅内閣が映像を秘密にしたまま釈放するという国辱の事態が生じた。

中国政府は、管内閣の映像秘匿を前提にして、我が国に「謝罪と賠償」を求めてきた。つまり、中国は、全て悪いのは日本で、中国は一漁民に至るまで決して悪くないという前提で対日外交を展開している。

そこで、目を大阪鶴見区の路上に転じる。ここからが、本日お伝えすることだ。この路上では、何時からか大勢の中国人が勝手に(つまり無許可で)歩道に店を出して商売をするようになった。

当然、歩道を住民が歩けない。住民と中国人露天商との間でトラブルが発生する。そこで、テレビカメラを抱えてマスコミが取材に訪れるということになり、その時の露天を出している中国人の行動が映っていた。

その中国人の行動は、撮影されないように、テレビカメラに攻撃を加える、カメラマンの頭をくるんだ新聞紙で叩いて、取材を妨害するといものだった。まさに、彼らは横暴であり、歩道を占拠することを当然として微塵もやましさを感ぜず平然としている。

ところが、この取材を切っ掛けとして警察が取り締まりに入ったので、露天はぴたりと無くなった。と、マスコミも思った。狐につままれたような当てが外れた風情で、警察官の立つ露天のないきれいな歩道をカメラが写していた。

しかし、中国人を知らないからそう思うだけ。警察官の姿が見えなくなったと思ったら、瞬く間に露天が復活する様をカメラが驚いたように写した。

この状況を取材したカメラは、またも手でレンズを覆うとかで妨害されていたが、今度は、歩道を歩けないと抗議している近所のおばちゃんに、反論する中国人の言動をカメラがとらえた。その概略を再現する。

中国人「何言ってる。日本、中国を侵略しただろう、悪いことしただろう、あんた、日本人、文句言う資格あるか」

おばちゃん「それは昔のことやないの、私は、歩道が歩けないという今のことを言っているの」

中国人「昔のことではない、日本は侵略の賠償したか、してない、侵略の賠償してないのに、日本人、えらそうなこと言うな」

おばちゃん、絶句。

以上の、大阪鶴見区での中国人の言動を知れば、中国人とは日本人がもっている秩序、倫理観、法を守るという意識を全て持ち合わせていない人種であることが解る。彼らに有効なのは、鶴見区の歩道で実証されたように警察の取り締まりだけだ。つまり、「力による強制」だけだ。「話し合い」でまとまる相手ではない。話し合いは話し合いでも、「力を背景とした話し合いという強制」だけが有効だ。

そして、このことは、鶴見区の歩道を占拠する中国人のみではなく、尖閣に押し寄せる中国の漁民もそうであり、中国共産党の最高幹部である九人の政治局常務委員もそうであり、あの中国政府の憎たらしい小鼻の開いた顔をした女の報道官もそうである。

中国人は、歴史をもちだし、徹底して日本を悪として己を善とする。断固として非を認めず、相手に譲歩だけを迫る。相手が、一ミリ譲歩すれば、さらに一キロの譲歩を迫る。

このこと、つまりこの中国人の本質を、今こそ全ての日本人が知っておく必要がある。終戦直後、自分の家の焼け跡に何時のまにか誰かが掘っ立て小屋を建てて住んでいる。「ここは俺の土地だ」と言えば「敗戦国民!黙ってろ」と言われてそのままになった。

こうして、土地を取られた人を現実に知っている。

今度は、現在の鶴見区の歩道のように、突然家の前、また所有する空き地に中国人の店ができたと想定しよう。当然、立ち退けと抗議すると、中国人は、「日本人は、中国侵略した賠償も払わないで、えらそうなことを言うな」と反論して居座る。

このような事態が、全国津々浦々で起こりうる。

今や、在日外国人の最大多数が、鶴見区の歩道を平気で占拠している者達と同じ共産主義独裁下で反日教育を受けた中国人なのだから。戦前から日本社会の中で生業を続けてきた中国人と、共産党独裁下で家族同士近隣同士の密告を奨励された中を生き抜き、反日教育を繰り返されて育ってきた大陸の中国人は全く違う。

従って、神戸や横浜に昔から(つまり共産中国成立以前から)「中華街」があって賑わっているからといって、これから新しく「中華街」を造るという計画に乗ればえらいことになる。

ところが、中国人にそそのかされて、都市の中心部に中華街と称する「中国解放区」を造るために広大な土地を提供しようとする自治体が後を絶たない

まず、東北の首都である仙台に「中華街」建設計画がわき出した。その計画を断念させたのが、その時の若き仙台市長だった梅原克彦氏だった。彼は、「中華街」計画の実態を見抜き阻止したのだ。

彼は、東北の首都、杜の都、仙台に最大の貢献をした市長といえる。

なお、彼は通産省から駐アメリカ公使に出向していたが、拉致被害者家族がアメリカのワシントンを訪れたとき、家族がアメリカの政府や議会の要人と面会できるように献身的に動いてくれた印象深い人物であった。

しかし、この梅原市長の警告と実践があったにもかかわらず、今も、新潟市で広大な土地を中国領事館に提供しようとする動きがあり、名古屋市においても、お城の横の土地を中国に提供しようとする動きがある。

新潟市も名古屋市も、都市中心部を大阪鶴見区の中国人に占拠された歩道にするつもりなのか。特に、名古屋は「尾張名古屋は城でもつ」と言われたそのお城の横に「中国解放区」を誘致してもよいのか。

アジアのやっかいな疫病神、中国と中国人が狙っているのは尖閣だけではない。中国人は既に山奥の我が国の貴重な「水源」を買い占め、今度は我々の身近な街に、イナゴが来襲するように押し寄せてきて鶴見区の歩道のように堂々と占拠する事態があり得る。

特に、「日本は日本人だけのものではない」との妄言を繰り返して、本年七月一日に中国人入国のビザ条件を大幅に緩和した民主党政権の時にそれが起こる可能性が高い。

日本の国土防衛のためにも、民主党政権を速やかに打倒することは、国家的かつ国民的急務である。

本稿は、表題と内容が合わない。いつものことながら、書き始めると予定した路線から筆が外れてしまった。本日の早朝に思っていたことは、本年中に書かしていただく。

平成22年12月26日、日曜日

西村真吾国士