検閲とは通常、思想の統制や社会の秩序をたもつために国が強制的に出版物や郵便物などを取り締まることを指すが、ここでは太平洋戦争の勝者のアメリカが、敗者の日本の言語空間を閉ざし、日本人を洗脳してきた実態が明らかにされている。
日本での検閲において、アメリカが最も頭を悩ませたのが日本語いう世界で最も難解な言語であり、特に戦後は検閲に当たる人材が不足していた。それを補うために、アメリカは日系二世の中から日本語の出来る者を選抜し、陸軍諜報部語学学校で「語学兵」として訓練した。また、日本人の中からも、滞米経験者、英語教師、大学教授、外交官の古手などを採用し、高額の報酬で検閲の作業に当たらせていた。
驚いたのは、「War Guilt Information Program(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)」なるものが存在し、日本での検閲に大きな影響力を及ぼしていたことである。
終戦直後にアメリカが特に懸念していたのは、原爆投下による被害者意識が強まってきたことと、東京裁判において東条英機を賞賛すべきだという機運が高まりつつあることであった。
これらに対し、アメリカ側は「危険思想」の特定方法や対処方法を明らかにし、ケース・バイ・ケースのマニュアルを用意していたのである。
江藤氏によれば、こうした言語検閲は戦後日本の言語空間を拘束し、そして今もなお、日本のメディア界に体質として残っているのだという。 終戦から60年以上が過ぎた今、日本人の異様なほどのアメリカ信仰をひとつをみても、アメリカが植えつけた言語検閲がいかに効果的だったか。中国や北朝鮮に対する嫌悪や不信感についても、アメリカ主導の反共教育が少なからず影響しているのかもしれない。
一番怖いのは、それを日本人が自覚していないということだと思う。江藤氏によれば、言語検閲を担っていた組織は完全に「影」の存在であり、だれもその実態を明らかにしようとしなかった。その意味で本書は、豊富な一次資料に基づいた画期的な歴史研究である。 戦前から戦中にかけて日本でも検閲が行われていたが、それは国内法に基づくものであり、その法の存在は公にされていた。
また、伏せ字の使用により、検閲されていたことを多くの国民が自覚していた。 しかしながら、GHQの検閲は、その事実を秘匿し伏せ字や空欄の使用も認めなかったため、ほとんどの日本人は検閲済みの情報に接していたと言う自覚を持てなかったのである。しかも、この行為はポツダム宣言でも認められていないことなのである。
そして検閲という言葉からは「占領政策に不利な情報の流布を防止する」に過ぎないと言うイメージを抱きがちであるが、GHQが行ったのは、さらに自分たちの都合の良い情報を流し、史実の書き換えまでも行う、謀略工作に近いものだったと言えるだろう。ドイツと日本の降伏は同等のものと思い込んでいる人たちがいまだに多いことなどを見ても、影響は相当根深い。
▽「閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本」江藤淳著▽
第2次世界大戦後におけるアメリカの日本に対する検閲についての調査報告である。米軍の周到な準備と苛烈な検閲の実態が学術的精緻さをもって明らかにされる。敗戦直後には報道されていた米兵の婦女暴行事件も隠蔽されている。容赦の無い検閲だ。
そもそも、ポツダム宣言第10項には、「言論、宗教及び思想の自由ならびに基本的人権の尊重は確立せらるべし」と規定している。だから、検閲の実施は秘匿され、検閲の痕跡が残らないようにされた。たとえば、「大東亜戦争」ということばは伏字とはされず、「太平洋戦争」ということばに置き換えられた。そうしてその集大成が東京裁判とその報道である。
毒ガス以上の残虐兵器である原子爆弾を非戦闘員に使用した米国への日本国民の批判の目をそらせるために、日本軍を徹底的に悪者にしたてることに占領米軍は成功した。
結果、占領終了後も日本人のアイデンティテイーと歴史への信頼はいつまでも内部崩壊を続けた。また、同時に常に国際的検閲の脅威にされされている。
教科書問題はそのひとつの現われだ。さらには、著者が体験した映画作成において報道機関において今なお自主的な検閲が行われていることが記録されている。閉ざされた日本の言語空間の解放を願った著者の想いが行間から伝わる力作。
閉された言語空間
