# 1 幼少期・両親とのエピソード
# 2 数の時代の民主主義、新興国の台頭
# 3 資本主義と選挙、メディアについて 中国との関係
# 4 南京歴史問題、外務省の対応
# 5 外交官としての自分史NY時代
# 6 日本と中国、アメリカとの関係1
# 7 日本と中国、アメリカとの関係2、戦後の日本政治
# 8 東京高等学校時代、東大・外務省時代のエピソード
# 9 日本と中国、米国関係、日露関係
#10 外交官時代のエピソードを語るほか「銀色の独立国」の日本のあり方について語る、1
#11 外交官時代のエピソードを語るほか「銀色の独立国」の日本のあり方について語る、2
#12 日本の対中外交について1
#13 日本の対中外交について2
#14 日米関係、政治と金1
#15 日米関係、政治と金2
#16 日米関係、政治と金3
#17 日米関係、政治と金4
#18 日本とイギリス・日英同盟を中心に・前編
#19 日本とイギリス・日英同盟を中心に・後編
#20 現代日本・前編
#21 現代日本・後編
#22 現代中国・前編
#23 現代中国・後編
#24 世界のこれから・前編
#25 世界のこれから・後編
#26 日本外交のこれから・前編
#27 日本外交のこれから・後編
#28 世界のはざまの日本・前編
#29 世界のはざまの日本・後編
#30 政治とお金の問・前編
#31 政治とお金の問・後編
#32 尖閣諸島問題を語る
#33 英語が出来ないと
2010年12月17日
平泉渉『世界のダイナミズム・父が娘に語る千夜一夜』
チャールズ・オースチン・ビアード
1874-1948。アメリカの著名な歴史学者、政治学者。卓越した教育者として20紀前半を通じ最高の知的指導者の一人である。
ビアードは、1874年11月27日、インディアナ州ナイツタウン近くに生まれた。デ・ボー大学卒業後、オックスフォード大学に留学。法制史の大家メイトランド教授やウェッブ夫妻の知遇を受けた。
メアリー・リッターと結婚し、夫婦での協同研究が始まった。専門はアメリカ憲法発達史であったが、市政学、都市学にも開拓者的研究を始めていた。ビアード夫妻による歴史の全体的把握への協同的研究は、その代表作というべき「アメリカ文明の興起」に結晶した。
これに続いて「航行半途のアメリカ」と「アメリカの精神」が刊行された。
このかたわら、ビアードは、アメリカ外交史の再検 討を試み、過度の対外干渉がアメリカ文明を危機に陥れることを「国家的利益の観念」「国内に向けられた門戸開放主義」で明らかに した。
とくに、ルーズベルト大統領の越権行為が三権分立をたてまえとする合衆国憲法を破壊するものであると批判した。晩年、ビアードは合衆国憲法がアメリカ文明にとっていかに貴重なものであるかを国民に周知させるために「わが共和国」「アメリカ合衆国史要」を刊行した。
また、ビアードは日本に対しておおくの愛情を注いでくれた学者である。東京市長・後藤新平は、大正11年9月4日、ニューヨーク市政調査会専務理事ビアー ドを招聘した。半年間、夫婦で日本に滞在し、講演と調査を精力的に行なった。
翌年の関東大震災の直後、後藤新平復興院総裁の要請で再び来日し、「モータリゼーションの時代」の到来を予想して、多くの幅広い幹線道路建設を含む大規模な東京市復興計画の立案のため、寝食を忘れて想を練り、政府に提出した。
しかし、彼の構想が遠大でかつ巨額の経費を必要とするため、不幸にも為政者のいれるところとはならなかった。1948年9月1日没。
2010年12月12日
焚書
焚書は、書物を焼却する行為である。
特定の知識以外を排斥する他、特定の思想、学問を排斥する場合がある。歴史上では秦や、ナチス・ドイツ・GHQにおける行為が知られる。
▽始皇帝の焚書▽
秦の始皇帝は紀元前213年に李斯の提案にしたがって、焚書を行った。その内容は、次の通りであった。
1、秦以外の諸国の歴史書の焼却
2、民間人は、医学・占い・農業以外の書物を守尉に渡し、守尉はそれを焼却する
3、30日以内に、守尉に渡さなかったならば、入墨の刑に処する
4、法律は、官吏がこれを教える、民間の独自解釈による教育を禁じると言うこと
始皇帝の焚書により、様々な書物の原典が失われた。しかし、壁の中に書物を隠すなどして書物を守った人もおり、それが、秦の滅亡後再発見され学問の研究に役立った。また、儒教の書物が狙われたと考えられがちであるが、他の諸子百家の書物も燃やされたことにも留意するべきであろう。
当時は、紙が発明されていなかったので、もっぱら木簡や竹簡に文章が書かれていた。そのため、壁に埋めて、上から塗りこめても書物が劣化する可能性は低かった。
▽ドイツの焚書▽
ナチス・ドイツの焚書、1933年。
ナチス・ドイツの行った焚書では、カール・マルクスなどの社会主義的な書物や、ハインリヒ・ハイネ、エーリッヒ・ケストナー、ハインリヒ・マン、ベルトルト・ブレヒト、エーリヒ・マリア・レマルク、クルト・トゥホルスキー、カール・フォン・オシエツキーなどの、「非ドイツ」的とみなされた多くの著作が燃やされた。
また、売れない画家としての前歴を持つヒトラーは、それまでの芸術の規範を飛び越えた近代的な芸術を退廃芸術として弾圧し、それに代わって肉体美や農村などを美化した「古き良き」芸術を大ドイツ芸術展を開いて称揚した。現在ではそれらは単に古臭い芸術であったと評される。
▽GHQによる日本での焚書▽
太平洋戦争終結後日本を占領統治したGHQにより、戦争を肯定する内容や、武士道等の本が大量に焚書処分された。
ここで言う焚書とは、書物を焼き払う行為を指すのではなく、「没収宣伝用刊行物」に指定することを指す。西尾幹二によると、GHQが7769点の指定リストをつくったとされる。
1946年(昭和21年)、GHQが「宣伝用刊行物の没収」と題するタイプ打ちの覚書を日本政府に送ったことに始まる。書物の没収は全国的に行われたものの、一般家庭や図書館にある書物は没収対象にはせず、書店や出版社から、あるいは政府ルートを通じ、国民に知られないよう秘密裏に行われた。
溝口郁夫による『没収指定図書総目録』によると、自社の出版物を多く廃棄されたベスト3は、
1位、朝日新聞社・・・・・・・・・・140点
2位、大日本雄辨會講談社・・・・・・・83点
3位、毎日新聞社・・・・・・・・・・・81点
である。